たまつしまみょうじん
奈良県桜井市忍阪
ここ忍阪 ( おっさか ) の地名は、かつて意柴沙加 ( おしさか )、意佐加 ( おさか )、 於佐箇 ( おさか )、押坂 ( おしさか ) など古代史を多彩に飾り、神話の 「 記紀 」 と..
ここ忍阪 ( おっさか ) の地名は、かつて意柴沙加 ( おしさか )、意佐加 ( おさか )、 於佐箇 ( おさか )、押坂 ( おしさか ) など古代史を多彩に飾り、神話の 「 記紀 」 ともに神武天皇東征の折、「 忍坂 ( おさか ) の大室 ( おおむろ ) 」 としても 登場します。 古事記では、皇后の忍坂大中姫 ( おさかのおおなかつひめ ) の御名代として 刑部 ( おさかべ ) 忍坂部 ( おしさかべ ) を定めたと記録され、この忍坂( おさか ) の地に宮があったことを証しています。第十九代允恭天皇 ( 在位四百十二年 - 四百五十三年 ) と忍坂大中姫 ( おさかのおおなかつひめ ) との間に第五皇女として誕生したと古事記で伝わる衣通姫 ( 軽大朗女 ) は、この地で生まれ、以って字、「 主谷 」 として今に残り、そのとき使ったとされる 「 産湯の井戸 」 がここにあります。
第十九代允恭天皇 ( 412年 - 453年 ) と忍坂大中姫 との間に第五皇女として誕生したと古事記で伝わる衣通姫 ( 軽大朗女 ) は、この地で生まれ、以って字、「 主谷 」 として今に残り、そのとき使ったとされる 「 産湯の井戸...
衣通姫尊、稚日女命
なし