かわまたじんじゃ
三重県鈴鹿市西富田町 709
西冨田町は安楽川の川沿いにあり、往古は庄野から亀山に通じる東海道の道筋に面して賑わった地域であり、当社は、この町の南端に鎮座する。『亀城兎園記』の西富田条に「社八玉子・八幡・天神 貮拾五間四間 村之..
西冨田町は安楽川の川沿いにあり、往古は庄野から亀山に通じる東海道の道筋に面して賑わった地域であり、当社は、この町の南端に鎮座する。『亀城兎園記』の西富田条に「社八玉子・八幡・天神 貮拾五間四間 村之西」とあり、古くは八王子と称されていた。現存している当社関係棟札によれば、中世近世を通じ宝殿その他社殿の造営が行われているようにみられる。特に正和二年(一三一三)、貞治六年(一三六七)、至徳三年(一三六八)の練札については「西富田村とその周辺」にその概略が報告されている。明治四年(一八七一)八月郷社に列格し祠官が置かれた。同四一年(一九〇八) 六月中富田町の川俣神社と共に和泉の川俣神社に合祀された。その後昭和二三年(一九四八)氏子の総意により分祀され同二六年宗教法人として届け出、現在に至っている。
《主》多紀理毘売命 《配》経津主命 武甕槌神 玉依毘売命 品陀和気命 息長帯比売命 崇徳天皇 大穴牟遅命 金山毘古神 八衢比古神 八衢比売神 久那斗神