社伝に、大同二亥年(八〇七)尾張国熱田宮より勧請し鎮守の神として祀ると社蔵の棟札に記るす。永正五年(一五〇八)領主秀国は本殿を再建し永録三年領主平元政、社殿を造営す。天正十三年(一 五八五)榊原六郎左ヱ門領主となり社殿を再建し、慶長十五年(一六一〇) 松平右ヱ門あつく崇敬し徳川将軍朱印十七石を寄進、明治に到る。明治五年十月十二 日、村社に列し、同四十年十月二十六日、供進指定を うける。同四十四年八月一日、同字の秋葉社、琴平社、 神明社を境内社の八幡社に合祀した。昭和十七年十月 一日、郷社に昇格する。