さのじょうし
栃木県佐野市若松町504
佐野城(別名:春日岡城、姥ヶ城)は、関ケ原の戦い後の1602年(慶長7年)に、佐野信吉が唐沢山城を廃して、山麓の春日岡にあった惣宗寺(佐野厄除け大師)の跡地に新たに築いた城です。 現在の佐野市は城..
佐野城(別名:春日岡城、姥ヶ城)は、関ケ原の戦い後の1602年(慶長7年)に、佐野信吉が唐沢山城を廃して、山麓の春日岡にあった惣宗寺(佐野厄除け大師)の跡地に新たに築いた城です。 現在の佐野市は城下町が原型となっています。築城にあたり惣宗寺(佐野厄除け大師)は、移転を命じられました。ちなみに春日岡という地名は、782年に藤原藤成がこの独立丘陵地に春日明神を祀ったことが由来です。 唐沢山城の廃止理由としては、信吉が豊臣家縁故であったため徳川家に配慮したため、江戸近郊の山城が禁令されていたため、あるいは江戸に火災が発生した際にいち早くかけつけた信吉に対し徳川家康が「唐沢山城から江戸城を見下ろすのは何事か」と一喝したためなどいくつかの説があります。 1614年(慶長19年)に佐野氏が改易されたために、佐野城はわずか14年で廃城となってしまいました。 惣宗寺(佐野厄除け大師)の山門は佐野城の城門を移築したものと伝わっています。 現在は佐野城山公園となっており、佐野市指定史跡・名勝に指定されています。
JR両毛線・東武佐野線 佐野駅から徒歩1分