はちまんぐう(おかざきしおおやなぎちょう)
愛知県岡崎市大柳町宮ノ畔12
社伝に永禄7年(1564)四月の創建なりという。 當村字前山地内に榊原氏の城跡あり。榊原氏を始め、大山氏等の豪族も世々(せいせい)武運長久を祈願せり、という。享和2年(1802)社殿を再建を礎石に..
社伝に永禄7年(1564)四月の創建なりという。 當村字前山地内に榊原氏の城跡あり。榊原氏を始め、大山氏等の豪族も世々(せいせい)武運長久を祈願せり、という。享和2年(1802)社殿を再建を礎石に刻む。 氏子の崇敬益々厚く、明治4年8月・拝殿の建設(棟札を臓す)あり。明治5年10月12日・村社に列し、(同)20年3月・本殿造営、(今の社口社本殿。棟札を臓す)等あり。日清・日露の両役には、氏子交替(交代)を以て社前に日参し専ら戦勝を祈願する。大正4年・即位記念として、表参道を改修して自然石の社標等を建立。同8年、世界大戦平和克服記念として、木造の鳥居木造を石造に改築。同年及、翌9年・獅子狛犬を始め神前燈籠等の奉納。大正13年・境内を広げ、現在の本殿を造営。昭和3年11月8日、御即位記念として尚善会より基本金、並びに土地の寄進をうけ、供進指定をうける。 元は、元下山の庄の大ケ谷村とよび、須山村・柳村と共に岡崎領だったが、寶歴13年(1763)幕領となり、明和7年(1770)より再び岡崎領となれり。明治7年(1875)再び大ケ谷村(戸数69戸)。明治11年12月28日・大ケ谷・須山・柳の三村、を合併して大柳村となり同22年10月1日・常盤村に編入。 昭和16年3月17日・字大榊44番地の村社、八幡宮を合併合祀。
誉田別命
13等級 旧指定村社
流造1坪、拝殿5坪、舞殿29坪
10月14日