みょうこくじ
茨城県結城市結城1570
法頂山妙国寺と称し、1345(貞和元年)年、日宣上人を開山とする日蓮宗の寺院です。 貞和元年(1345) 妙國院大乗阿闍梨日宣上人開山、 中老僧松本公日念上人を根本開基と仰ぐ本郷三妙国寺 第一番目..
法頂山妙国寺と称し、1345(貞和元年)年、日宣上人を開山とする日蓮宗の寺院です。 貞和元年(1345) 妙國院大乗阿闍梨日宣上人開山、 中老僧松本公日念上人を根本開基と仰ぐ本郷三妙国寺 第一番目の寺として創建。 慶長6年(1601)、第十二世 源授院日諦上人在世の折、 結城秀康の越前福井移封に随従 のため分寺。 平成10年5月に立教開宗750年事業として新本堂を建立した。 当寺には、蕪村の俳詩「北寿老仙を悼む」で知られる「北寿=早見普我」の墓があります。 早見普我(1671~1745)は、結城十人衆の称される由緒ある家に生まれ、名を義久、長じて新右衛門、さらに次郎左衛門と称し、北寿と号しました。家は、代々名主をつとめ、醸造業を営んでいたことから、若くして、江戸に留学、徘徊を榎本其角・佐保介我らに師事しました。 帰郷後は、家業を営むかたわら、自宅に私塾を開いたり、結城の俳壇の中心人物として活躍しました。
「繰言の 球数のしら玉 菊の上 普我」
普我や郷土の俳人・砂岡雁宕らを頼り、勇気に滞在した蕪村との交流は、広く知られるところです。1745年(延享2)75歳の生涯を閉じた普我の訃報に、蕪村は、師と仰ぎ、兄とも慕う普我への思いを、追悼の俳詩に詠んでいます。
「君あしたにさりぬゆうへのこころ千々に 何そはるかなる・・・・・(以下略)」
と、綴られるこの俳詩は、時を超えたリズムと詩情で、私たちの胸を打ちます。
普我の永眠する当寺の境内には、「北寿老仙を悼む」の詩碑が建てられています。
身延山を本山とする日蓮宗の寺院。南北朝時代に日宣上人を開山として成立したと伝えられている。境内には,俳人の砂岡雁宕の伯父の早見晋我の墓があり,与謝蕪村が詠んだ「北寿老仙をいたむ」という境内碑がある。
法頂山
日蓮宗
貞和元年(1345年)
・結城駅から徒歩で15分 ・五霞ICから車で40分30Km ・桜川筑西ICから車で35分25Km
有り