当妙法寺は長浜城主羽柴秀吉公の長男(初代)秀勝公の菩提寺です。
秀勝公の誕生祝いに秀吉公から町民に配られた砂金を基に長浜曳山祭り(特色:子供歌舞伎)が始まったと言われています。
母堂は秀吉公の側室「南殿」幼名は「石松丸」と伝わります。竹生島奉加帳(宝厳寺所蔵)に御名が残っています。
無事成長されていれば、日本の歴史も、もっと自由な展開をしたかも知れませんが、残念ながら天正4年10月14日早世、当寺東奥の御廟所に葬られました。
平成14年御廟所を現境内にお移しした際、長浜市教育委員会の発掘調査により、旧墓所から安土桃山時代初期大名様式の石囲い箱棺墓が出土し、秀勝公の実在が裏付けられました。
(妙法寺略縁起より引用)