だいかくじ
兵庫県姫路市網干区興浜151
天福元年(1233)比叡山の僧である隆禅上人の開基。現在の大覚寺より3kmほど北の『釈迦堂』に入り念仏修法に明け暮れたのが始まりといわれる。 後に『鶴林山 光接院』と改称、真言宗に属したといい、末..
天福元年(1233)比叡山の僧である隆禅上人の開基。現在の大覚寺より3kmほど北の『釈迦堂』に入り念仏修法に明け暮れたのが始まりといわれる。 後に『鶴林山 光接院』と改称、真言宗に属したといい、末寺7カ寺を数える大寺院であったと寺伝にて伝わる。 その後、室町時代の永正年間(1504〜1521)に真言宗から浄土真宗を経て浄土宗に転宗した。 天文三年(1534)、赤松氏による兵火にかかり堂宇が焼失してしまった。 当時第七代住職であった尭淳上人が寺の再建を発願、適した土地を求めて歩いていると、一羽の白鶴がまるで上人を導くかのように飛来し、浜辺にあった網干の祖神である三宝荒神社の大きな松の木にとまった。三宝荒神は仏法の守護神でもあるので、上人はここを寺域と定め光接院を現在の地に移し、白鶴の奇瑞に因み山号を『鶴立山』とし、寺号も『大覚寺』と改めた。 その後、第十三世中興空韻俊与上人が十一間四面の本堂を建立し、江戸時代には寺領三十石の朱印地として『三葉葵』の紋を許され、十万石の大名と同じ格式を持つ大寺院となり、網干郷を領する丸亀京極家の参勤交代の本陣としても機能した。 江戸時代初期の建造である本堂、観音堂、総門、荒神社の四棟が、姫路市指定文化財である。
鶴立山
浄土宗
西山禅林寺派
天福元年(1233)
阿弥陀如来
隆禅上人
寛永十一年(1634)
第十三世中興空韻俊与上人
山陽電鉄網干線網干駅より南へ徒歩約12分
無料
約30分
有り