いなむらじんじゃ
滋賀県彦根市稲里町2617
社伝によると、天智天皇の御宇6年、常陸国久慈郡稲村に鎮座の稲村神社の分霊を当稲里町小字塚の地に迎え、奉祀したのが始まりとされている。平流庄13ヶ字の産土神であり、天正年間兵火にかかり、後現在の大平山..
社伝によると、天智天皇の御宇6年、常陸国久慈郡稲村に鎮座の稲村神社の分霊を当稲里町小字塚の地に迎え、奉祀したのが始まりとされている。平流庄13ヶ字の産土神であり、天正年間兵火にかかり、後現在の大平山の地に遷座された。 村上天皇の御代、正一位を授けられ神領80余町を寄進された。また承久の乱には後鳥羽上皇の祈願もあったと伝う。なお社伝によると近江守護職佐々木家より太刀一振奉納あり、佐々木承禎が境内樹竹の伐採を禁止する制札を寄せた。また彦根藩主は当社保護のため、種々の制令を寄せたと伝えられている。 本殿は、現在のものは寛正5年8月の建築のものである。 社名は、往昔、稲村大明神、あるいは大社稲村大明神とも称したが明治9年稲村神社と改称し、村社に列した。明治14年郷社に昇格し同41年神饌幣帛料供進指定となる。明治41年郷内の無格社20社を合祀奉斎した。 なお春祭には氏子より大太鼓9基の渡御がある。 (稲村神社由緒記より引用)
主座:伊弉冉命 左座:豊宇気毘売神 右座:丹生大神
旧郷社
天智天皇の御宇6年(667年)
4月第3日曜日:春季例大祭(太鼓登山)
無し
有り