いいもりじょうあと
大阪府大東市大字北條2377
飯盛城は生駒山脈の北西支脈に位置する飯盛山に築かれた山城。別名、飯盛山城・河内飯盛城。城の始まりは南北朝時代からとされているが定かではない。現在の形になったのは戦国時代、河内守護畠山氏の家臣木沢長政..
飯盛城は生駒山脈の北西支脈に位置する飯盛山に築かれた山城。別名、飯盛山城・河内飯盛城。城の始まりは南北朝時代からとされているが定かではない。現在の形になったのは戦国時代、河内守護畠山氏の家臣木沢長政からと考えられている。その後、長政は三好長慶に討たれ、幕政を握った長慶はここを居城として政務を執った。長慶の死後、河内を平定した織田信長によって破却されたとみられている。 河内と大和の国境に位置し、深い谷や険しい崖を利用した飯盛城は守るに易く攻めるに難い天然の要害であった。尾根伝いに曲輪を配置した連郭式の縄張には、最盛期には大小70の曲輪が築かれていた。 2017年に続日本100名城160番に指定された。
JR西日本片町線(学研都市線) 四条畷駅から徒歩約1時間 JR西日本片町線(学研都市線) 野崎駅から徒歩約1時間20分
制限無し。ただし山の中なので陽が落ちる前には下山すること
無料
約2時間
専用の駐車場は無し
無し