まんじゅじ
佐賀県佐賀市大和町大字川上1109
大治5年(1130)善住和尚の開山といわれている。 善住和尚は天台宗の僧であったが、仁治元年(1240)神子和尚によって禅宗にかわる。 「神子禅師年譜」によれば 和尚は平氏の康頼と筑後国三潴庄の住人..
大治5年(1130)善住和尚の開山といわれている。 善住和尚は天台宗の僧であったが、仁治元年(1240)神子和尚によって禅宗にかわる。 「神子禅師年譜」によれば 和尚は平氏の康頼と筑後国三潴庄の住人藤吉種継の娘千代との間に生まれ、 41才のとき宋(中国)に渡って修行し水上山に来たのが46才のときといわれる。
臨済宗東福寺を開山した聖一国師は当山第2世で、 高城寺の開山円鑑禅師は当山第3世である。 永正14年(1517)64世天享和尚は龍造寺隆信の曽祖父家兼の弟で、 後柏原天皇により勅願寺の綸旨を賜り勅願第1世となった。 9世是琢和尚は佐賀藩祖鍋島直茂のお側役として文禄の役に従軍している。
享保19年(1734)の記録では鍋島家寄進寺領高40石余、山林3町余(約3ヘクタール)で 寺域東西10町(約1km)南北15町(1.6km)内に伽藍が立ち並んでいた。 塔頭8、末寺83で、鍋島家の祈願寺として格式高い寺であった。 現堂宇は明治5年火災後再建されたものである。
水上山
臨済宗
南禅寺派
不動明王
水上山輿聖万寿寺
水上不動尊
有り