かわぎしまちすわじんじゃ
群馬県高崎市新町甲447
この神社は、延長3年(925)毘沙吐村(埼玉県上里町)に造られたと伝えられます。 弘化3年(1846)に村を襲った大洪水のため、境内及び全村悉く押し流され、村は壊滅状態となり新町の下河原に移り、当..
この神社は、延長3年(925)毘沙吐村(埼玉県上里町)に造られたと伝えられます。 弘化3年(1846)に村を襲った大洪水のため、境内及び全村悉く押し流され、村は壊滅状態となり新町の下河原に移り、当社も現在地に移築されたと言われます。 社殿は宝暦年間(1751〜1764)に造営され、中央に諏訪社、右に大杉社、左に稲荷社の三社が置かれています。建築は精巧を 極め、特に海老虹梁(エビの様に湾曲した梁)の「ぶどう」と「りす」の彫刻は、桃山様式を窺わせます。
延長3年(925)毘沙吐村(埼玉県上里町)に造られたが、弘化3年(1846)の大洪水のため、現在地に移築されたと伝わる。
旧指定村社
延長3年(925)に勧請
境内に駐車可能