かげきよびょうさたじあと
宮崎県宮崎市下北方町塚原5836番地(下北方町自治公民館)
平家の侍大将、悪七兵衛・平景清にまつわる廟祠。寛政四年(1792)に下北方村を訪れた高山彦九郎は 「薬師堂南向右に水鑑景清大居 士墓、西向千手石、並ひて社の如く覆ひ有り、行人削りて目の為、瘧の為メに..
平家の侍大将、悪七兵衛・平景清にまつわる廟祠。寛政四年(1792)に下北方村を訪れた高山彦九郎は 「薬師堂南向右に水鑑景清大居 士墓、西向千手石、並ひて社の如く覆ひ有り、行人削りて目の為、瘧の為メにす、景清墓二尺、高サ五尺余有り、古の墓碑は沙法(汰)寺に納むと云ふ」と記している。 明治三年の廃仏毀釈によって沙汰寺は破却、その後、景清廟は現在地に墓石を移して建てられた。
宮崎駅から車で20分
境内自由
無料
15分
敷地内の公民館駐車場利用