久昌山保国寺は、文中等智開基の曹洞宗の寺院です。開創は永正元年(1504)という記録があり、室町時代から続く歴史ある寺院です。
保国寺には、「廻り地蔵」という民俗行事があります。地蔵尊を三ノ宮や白根などの集落を戸ごとに一夜の供養を受けながら廻るという風習ですが、これにはある逸話が残されています。
江戸時代の中頃、保国寺の住職に孝戒和尚という人がいました。孝戒は非常に慈悲深いお坊さんで、特に子どもを大変可愛がっていたそうです。当時は貧しい農村の子どもは病気等で亡くなってしまうことが多く、それを悼んだ孝戒は子どもの健全な成長を願い、丈六の地蔵尊大像と百体の子育て地蔵尊の大願を建てました。宝暦12年(1762)の発願から13年の歳月をかけ、安永4年(1775)7月1日にこの大業が達成されました。
丈六の地蔵尊大像は保国寺境内の地蔵堂に安置されましたが、明治10年頃、廃仏毀釈の影響を受けて失われてしまいました。現在は江戸の仏師である大熊宮内によって彫られた木像の地蔵尊が安置されています。
孝戒によって造られた百体の子育て地蔵尊は、保国寺近郷の百か村に勧請されました。その中には今もなお、子どもの健やかな成長を願い地域の家々を廻っているものがあります。