けんぽうじ
愛知県丹羽郡扶桑町南山名字寺前28
正安3年(1301年)9月、多和田七右エ門尉(珍譽顯寶大居士)によって、両親の菩提を弔うために浄土宗の寺院として創建された。 明応9年(1500年)9月、大徳寺住持であった悟溪宗頓によって再興され..
正安3年(1301年)9月、多和田七右エ門尉(珍譽顯寶大居士)によって、両親の菩提を弔うために浄土宗の寺院として創建された。 明応9年(1500年)9月、大徳寺住持であった悟溪宗頓によって再興され、臨済宗妙心寺派へ改宗する。 1600年代には近辺で弾圧に遭ったキリシタンの殉教の場となった。 享保18年(1733年)正月に火災で全焼したため、5月に10世・檀巖宗柱和尚の手で現在地に再興された。 明治24年濃尾地震によって本堂が倒壊したが、明治37年に14世・洪嶽祖恩和尚の手で再建された。 昭和40年には南山名の畑より仏像が発掘され、「鋳造誕生仏立像」と名付けられた。これは奈良国立博物館にて鑑定を受け、「平安初期鋳造物の基調となる全国的にも稀な誕生仏」とされた。昭和45年には愛知県によって文化財指定を受けた。 現庫裏は昭和63年、現山門・釈迦堂は平成10年にそれぞれ建てられた。
多福山(たふくざん)
臨済宗
臨済宗妙心寺派
1301年(正安3年)
聖観世音菩薩
多和田七右エ門尉
1500年(明応9年)
悟溪宗頓(ごけいそうとん)
多福山顯寶禅寺
扶桑廿一大師第2番札所
鋳造誕生仏立像(愛知県指定有形文化財)
4月 花まつり・誕生仏御開帳
有り(境内南)