この寺は、松獄山久翁寺と号し、曹洞宗真芳寺の末である。(現在は海蔵寺)往古は、心明院と号す真言宗の寺であったが、その後廃寺となっていたものを、天文15年(1546)6月、知行主北条長綱 入道幻庵の許可を得て、その家臣関善左衛門が建立したものである。
後北条時代初期の心明院の頃、この寺では千句の連歌の会があり、また月次の会も催されて、北条氏綱も度々出席した。
菊の露月にやましを玉の庭 氏綱
八千代の椿秋をふるかな 長慶
名もしるき岩の松虫音に立てて 宗長
更ぞ行野辺の鹿の音夜半の月 公融
下葉うつろふ庭の群萩 竹庵
今朝はかつ萩の上風吹過ぎて 氏綱
なお寺内の墓地には、地元石橋分教場で教鞭をとりながら、詩作活動を続けて、映画「嘆きの孔雀」など数多くの作品を残した小田原出身の民衆派詩人福田正夫 の墓がある。