こうにんじ
長崎県長崎市出雲1丁目17−23
もともと、長崎の遊郭で働く女性たちが病気を治すためにお参りに来たことがきっかけでできたお寺です。 初代住職の仏徳ぶっとくは、女性たちの病を護摩祈願によって癒し、心を救う場として弘仁寺大師堂を建立し..
もともと、長崎の遊郭で働く女性たちが病気を治すためにお参りに来たことがきっかけでできたお寺です。 初代住職の仏徳ぶっとくは、女性たちの病を護摩祈願によって癒し、心を救う場として弘仁寺大師堂を建立しました。 2代目、覚導の代になると軍艦島で働く人々との縁が深まりました。
3代目、覚源は軍艦島の出身です。覚源の父は、香川県多度津出身で熱心なお大師さまの信者だったそうです。 弘仁寺の住職は、軍艦島へ毎月お参りに行っていましたので、閉山後は弘仁寺の檀家になる方が多くいらっしゃいました。 弘仁寺は長崎の高台に立つお寺です。 爆心地から5キロほど離れていますが、原爆が落とされた時には爆風が直撃し、屋根に大きな被害が出ました。倒壊を免れたのは、ご本尊不動明王のご加護によるものかもしれません。本堂を支える柱は少し歪んでおり、被曝の衝撃を静かに物語っています。
5代目 眞源の代になり、「暖かいことばを、ともに」をテーマに、法話の寺、護摩の寺、瞑想の寺として活動をしています。 病院や、老人会などでの講演活動や、寺子屋活動も行っています。
宝雲山
大師院
真言宗
高野山真言宗
明治34年
弘法大師、不動明王、十三仏
長崎四国八十八ヶ所霊場第44番