もんとくじ
岐阜県羽島市竹鼻町2994
天文7年(1538年)、浅井長政の七男・浅井民部卿行政が美濃国西門間庄(現・竹鼻町大西)に来た。行政は出家して浄祐と名乗り、寺を創建した。翌年9月、本願寺10世・証如上人から本尊と寺号を与えられた。..
天文7年(1538年)、浅井長政の七男・浅井民部卿行政が美濃国西門間庄(現・竹鼻町大西)に来た。行政は出家して浄祐と名乗り、寺を創建した。翌年9月、本願寺10世・証如上人から本尊と寺号を与えられた。このとき西的場という地区にあったので的場山という山号とした。 寛政年間、宝暦10年(1760年)に下町大火で焼失して廃寺となった専福寺(のち別地に再興されて現在は竹鼻別院に)の跡地である現在地に移転した。移転後も西的場の地に太子堂と地蔵堂が境外仏堂として存在する。
的場山(まとばさん)
浄土真宗
真宗大谷派
1538年(天文7年)
阿弥陀如来
浄祐(浅井行政)
寛政年間
的場山聞得寺
美濃竹鼻まちなか寺社巡り第5番寺院
無料
有り(境内)