じゅうもんじじんじゃ
宮城県亘理郡亘理町逢隈十文字宮前88
文治五年(1189)に源義経に仕えて奥州に出向いた、豪族の渡辺源左衛門綱安が「衣川の戦い」に敗れた義経死後、この地に移り館(城)を築き、この地区を領地としし、姓を「十文字」とあらため荒地を切り開き開..
文治五年(1189)に源義経に仕えて奥州に出向いた、豪族の渡辺源左衛門綱安が「衣川の戦い」に敗れた義経死後、この地に移り館(城)を築き、この地区を領地としし、姓を「十文字」とあらため荒地を切り開き開拓開墾しました。 未だ、戦国時代で統制と治安が乱れ、且つ天災のため飢餓や疫病に苦しむ人の後が絶えなく、天下泰平・武運長久・五穀豊穣・疫病退散・十文字地区の安泰を願い、館内に京より勧請していた大山祗神・誉田別命の祀り、鎮護の社として創建したと伝えられています。 後に、亘理領主と所領争いをしていた相馬領の相馬充胤と同盟を結び、2700石を与えられ、正中二年(1325)正月に相馬氏の氏神の妙見社の分霊を勧請し、合わせて祀りました。
事前に電話連絡をお勧めします
誉田別命・天之御中主神・大山祗神
7月第3日曜日
あり
無し