やすはらはちまんじんじゃ
和歌山県和歌山市相坂671
神功皇后が三緯を征して後、新羅国より御凱旋の際、忍熊王の難をさけ、難波から紀水門(現在の安原附近)に御到着、御子誉田別尊(応神天皇)を武内宿禰に護らせて上陸させ、皇后みずからは更に日高郡衣奈まで迂回..
神功皇后が三緯を征して後、新羅国より御凱旋の際、忍熊王の難をさけ、難波から紀水門(現在の安原附近)に御到着、御子誉田別尊(応神天皇)を武内宿禰に護らせて上陸させ、皇后みずからは更に日高郡衣奈まで迂回をして、再び津田浦(現在の安原小学校附近)に御上陸し頓宮を造られ御滞在なされた跡が当社である。 御鎮座年代は不詳であるが、欽明天皇の御宇、諸国の神功皇后御経歴の地に八幡造営の詔命があり、当社の創建もこの時と推憶される。
誉田別尊、気息長足姫尊、武内宿禰
木造銅板葺流造
10月13日
安原荘御船山縁起碑
無料
約10分
無し