くすごうそうしゃしんめいしゃ
三重県四日市市楠町北五味塚 1
当社の創祀については、詳らかにし難い。神社合祀以前は楠郷7ヶ村の総氏神として人々の崇敬を集め、社名も楠郷総社神明社と称していた。社伝によれば、最初神明社を奉斎していたが、後、正平24年(1369)末..
当社の創祀については、詳らかにし難い。神社合祀以前は楠郷7ヶ村の総氏神として人々の崇敬を集め、社名も楠郷総社神明社と称していた。社伝によれば、最初神明社を奉斎していたが、後、正平24年(1369)末社上下諏訪社を、伊勢国司の被官諏訪十郎が勧請したと伝えている。江戸時代には、諏訪大明神神明社とも楠郷総社とも呼ばれていた。明治41年大字南五味塚字南塚村社南御見塚社他大字鎮座の18社と当社末社上諏訪神社他境内社5社無格社1社を合祀し、社名を楠村郷総社神明社から楠村神社に変更した。同42年には、大字小倉字入日鎮座の村社土御門神明社並びに境内社大字北一色宇総縄鎮座の村社北一稲荷社 大字本郷字風呂屋鎮座の村社楠村神社大字南川字村内鎮座の村社瓜生神明社 同無格社東浦天 祭満社 字東浦の無格社加茂神社字村内の無格社山祗神社 大字小倉字砂間鎮座の村社丑之神明社 字松山の無格社山神社 大字吉崎字三之割村鎮座の村社吉崎神明社同字無格社山神社をそれぞれ合祀した。同43年には、さらに字南塚、字市場鎮座の渚社を合祀して一村一社を完成した。これより先 明治39年には、村社楠郷総社神明社として、三重県より神饌幣帛料供進社の指定をうけ同41年には社名変更伴い再度の指定がなされた。昭和21年(1946)社格廃止。同年宗教法人として届け出た。後、合祀各社氏子崇敬者達の熱意により分祀がなされ、これに伴い社名も楠郷総社神明社に再度改称して現在に至っている。秋の例祭に、神輿渡御の神事があります。
天之御中主神
春の御桑祭(3月第2日曜)、秋祭(体育の日を含む3連休の2日目)
有り