こやすじんじゃ
奈良県奈良市雑司町400
大仏殿と指図堂の間に、白壁の土塀に囲まれた子安宮・子安明神と呼ばれる小社があります。 東大寺の古図には、この子安宮の位置に神社が描かれていて、「富貴社」と注記され、「フキのやしろ」と呼ばれていまし..
大仏殿と指図堂の間に、白壁の土塀に囲まれた子安宮・子安明神と呼ばれる小社があります。 東大寺の古図には、この子安宮の位置に神社が描かれていて、「富貴社」と注記され、「フキのやしろ」と呼ばれていました。 平成元年に解体修理が行なわれた際、社殿内より1671年と1861年の日付の遷宮の棟札2枚が発見されました。そこから中門堂衆の文殊院によって既に改築されていたことが明らかになり、子安宮の称号が17世紀に遡ることも判明しました。 二月堂神名帳には、「子安大明神・穴師大明神」と子安明神の名がみえますが、この子安神は他国の明神です。。 享保年間(1716-1735)の東大寺諸伽藍略録によると、良弁僧正の母を祭祀したと言い、「相模国からこられた母がここに住し、良弁は孝養を尽くした」旨の説明がなされ、「孝養社」と言ったとも記されています。 安産と子孫繁栄を願う社として「富貴社」より改称されたものらしいです。 ~案内板より抜粋~