こうしゅうじ
岐阜県加茂郡富加町加治田682
養老年間、行者・浄定が白山の泰澄大師に帰依してその弟子となり、大師より阿弥陀如来像を授かった。これを祀るための一宇を建立したのが始まりという。一宇はのちに願正房と名付けられた。 嘉禎元年(1235..
養老年間、行者・浄定が白山の泰澄大師に帰依してその弟子となり、大師より阿弥陀如来像を授かった。これを祀るための一宇を建立したのが始まりという。一宇はのちに願正房と名付けられた。 嘉禎元年(1235年)、親鸞聖人が関東から上洛する途上、羽島郡足近村に逗留した。その時住職・願正房願慧が教えに帰依して改宗し、法名を光宗と授かった。 戦国時代には、厚見郡宇佐村の辻利兵衛義成が実如上人に帰依し、剃髪して法名を法乗と授かったうえ、永く荒廃していた願正房を興して房主となった。光宗寺の第一世である。この時点では房は加治田栃洞の小字堂洞にあったと考えられており、後に北西の寺洞に移転した。 第三世 願正 慶長10年(1605年)、3世・願正が准如上人より光宗寺の寺号を賜った。 8世・玄隆は寺を寺洞から現在地へ移した。また、本尊の阿弥陀仏を修理したという。玄隆は宝暦4年(1754年)に没した。
加治田(かじた)にある浄土真宗本願寺派の寺院。同派岐阜教区東陽組に所蔵している。
慈雲山
浄土真宗
浄土真宗本願寺派
養老年間
阿弥陀如来
浄定
1235年(嘉禎元年)
光宗(願正房願慧)
慈雲山光宗寺
聖徳太子像 七高租像 准如上人像 阿弥陀如来像 実如上人御名号 六字名号 木造阿弥陀如来立像 (以上富加町指定重要文化財) 光宗寺の銀杏の木(富加町指定天然記念物)
有り(境内)