往古西山の川合中山のほとりに春日大神の天降らせると傳へる楠の大木あり。これよりこのわたりを春日谷と称せりとなむ。顧ふに奈良朝の初め各所に春日大明神を祀り奉れるに因るものぞかし。その後出水あり(慶雲四年六月の地震とも云ふ)山崩れのためこの大木流れその行方を知らず。(一説に春日谷に春日大神を祀りしが土人共社の元支を争ひ遂に社を谷川に投ぜりとも傳ふ)ここに瑞岩寺下梅ヶ渕と云へる所あり。小島井の口市場黒土両村の境あたり夜な夜な光り物出で人々ためにおののきいぶかりぬ。黒土村某といへる者いかにもして正体を見届けむと縁者と語らい夜な夜な窺ふに得ず。一夜霊顕あり。両人同じく夢む「我こそは春日大明神なり。黒土村に行かむと此処にあり」と夜の明るを待ちて里人共を集め、碩をあさり探れど知るべからず。数日後更に夢あり「我が所在は鶏の寒子と鳴く処ぞ」とくだんの鶏を碩に放ちけるに果たして啼く。すわこそと勇み寄り穿てば黒き大岩あり深更に至り堀なやむ翌朝見ればこはそも如何に大岩おとずと砕けて中より樟の御霊体現はれましぬ(これぞ実に岩井神社の御神体にて座像御丈二尺七寸二分)元正天皇の養老行幸の砌由緒をきこしめされ社の名を岩井大明神とあらためさせ給ひぬ。これ実に養老元年八月六日なりき。