『文政一〇年(一八二七)の桑名領郷村案内帳』に「鎮守に牛頭天王、稲荷大明神、山神五社」とある。『伊勢輯雑記』には、「生土神の社 村の内北の田の中に在、祭神二座天照皇大神 南の座牛頭天王、神殿虹梁の下に紋所三ツ附、北には三巴、中間は花モッコウ、南の間には井桁の中に沙金袋也、拝殿東向、石燈籠一基拝殿の前に在り、石燈龍二基宮林の外に在り、北は明和元年(一七六四)九月出来、南は安永元年(一七七二)九月立施主氏子中、鳥居文化一四年(一八一七)丑秋立、石橋鳥居外に在り、例祭九月一〇日、当村の内と別郭新田との生土神也。稲荷大明神 字一色と云所に在す、神殿東向、鳥居文政三年(一八二〇)秋立、夫社辺の一小郭を一色と字す、此の一色一郭の生土神也、例祭九月一〇日。山神 村の内一郭一色と云所に在す、神石東南向。山神 村の内小名榑木と云所の南に在す、祠東向。山神 村の内小名北垣内と云所の西に在す、祠東向。山神 新田の北に在り、社頭東向、社地南北二〇間東西五〇間。」とある。 『員弁郡郷土資料』には、「村社八坂神 社石榑東字宗玄にあり、村社にして天照大神、須佐之男命、宇迦御魂神、大山津見命、火産霊神を祭神とす、神社創立の年月は詳ならざれども、当社は創立以来八坂神社と称し、須佐之男分を祀れり、寛政の頃当大字内の字新田に鎮座ありし天照大神即ち神明を合せ祀り云々」とある。