ほりでじんじゃ
茨城県ひたちなか市阿字ヶ浦町178
寛文11年(1671年)8月13日、岡見伝五右エ門尉吉高(14才)の記した由来記によると、磯崎大明神(酒列磯前神社)をはさんで前浜、平磯両村の境界論争がつづいたので、寛文3年(1663年)8月13日..
寛文11年(1671年)8月13日、岡見伝五右エ門尉吉高(14才)の記した由来記によると、磯崎大明神(酒列磯前神社)をはさんで前浜、平磯両村の境界論争がつづいたので、寛文3年(1663年)8月13日、岡見弥次右衛門尉吉為、前浜村庄屋弥右エ門、組頭太郎右エ門等検分途中、路中吹きはげの所に備前焼で忌垣二重に囲い内くぼみになっておる処を見つけ、案内にそこを掘らせたところ、石廊あり、中から刀、折れた脇差、槍、鉾3枚、矢の根、具足、州枚形からがね2枚、天目などが発見された。 この品々はさっそく水戸城中へ送られ、詮議の結果「磯前明神の本体であろう」と結論されたので、前浜村鎮守を望む地元の意向をくんで、岡見吉為が小社を建てた。
誉田別尊
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有り