建久年間(1190年 - 1198年)、佐々木氏の家臣で備前国赤坂城主・岡田備中守家猶の弟・岡田団蔵によって柳瀬の地に天台宗の寺院として創建されたと伝わる。
諦應が住職のころ、妙楽寺の了念に帰依して真宗佛光寺派に改められた。
妙楽寺が現在地へ移転したとき、境内に移ったという。
元文4年(1739年)、住職・了貞によって本願寺派へ転派した妙楽寺に従い本願寺派へ転派された。
文政2年(1819年)の大地震によって倒壊したが、門内の寺院で最初となる3年後に再建された。
もとは妙楽寺の末寺であったが、戦後の本末制度解体によって独立した。