しゅっせいなりじんじゃ
東京都中央区日本橋堀留町1-6-11
看板より 江戸時代は当稲荷敷地は新材木町十六十七十八番地稲荷 です其の昔徳川家康入城天正八年(一五九〇)頃此の附近は 芝原宿という村落でした杉の森林の多い所です江戸城拡張 以末江戸町割当地慶長九年..
看板より 江戸時代は当稲荷敷地は新材木町十六十七十八番地稲荷 です其の昔徳川家康入城天正八年(一五九〇)頃此の附近は 芝原宿という村落でした杉の森林の多い所です江戸城拡張 以末江戸町割当地慶長九年(一六〇四)頃材木置場が多い 所から新材木町と町名が出来た由尚元和三年(一六一七) 親爺と呼ばれた北条家浪人庄司甚右衛他数名の伎家敷内 に有り京都伏見稲荷より祭神を戴き守護神として祭り 後当地世話人一同が現在迄守護致して居ります。 当社は明歴三年(一六五七)江戸大火振袖火事、安政(一八五回) 大地震、明治六年(一八七三)大火関東大震災大正十二年(一九三三) 近くは昭和の大平洋戦争まで本尊災禍を免かれました。 関東大震災の時社殿焼失致し現在堀町一丁目十番地 椙森神社の拝殿取毀し材料(杉の木)削り直し昭和六年(一八七四) に落成し現在まで数多くお信仰者があります。 江戸時代初代市川団十郎が日参し名をあげた由尚当地より 出世致した商店芸能関係各個人等数多く出て祈ります。 初午毎年三月岩代稲荷と合同で堀町一丁目町会応援にて執行致します。 応永図経、先祖の言い伝えとの事。
日比谷線 小伝馬町駅から徒歩約8分
無料
15分
無し