くわじまはちまんじんじゃ
徳島県鳴門市撫養町大桑島字与三左谷7
旧神饌幣帛料供進神社。慶長年間(1596~1615)この地に淡州志知川の人々が移住し、同8年(1603)別当寺開山運誉上人が八幡・金毘羅・山王の三神を奉斎して地主神とした。安永4年(1775)11月..
旧神饌幣帛料供進神社。慶長年間(1596~1615)この地に淡州志知川の人々が移住し、同8年(1603)別当寺開山運誉上人が八幡・金毘羅・山王の三神を奉斎して地主神とした。安永4年(1775)11月、壮大な現社殿の規模に造営され、このとき村内を6組に分け安芸の宮島にならって神社を中心に各組に事代主神社を奉斎し「七蛭子」とした。今も境内に末社恵比須神社と6社の事代主・蛭子神社が祀られている。明治初年村社に列した。
譽田別神(ほんだわけのかみ) 大物主神(おおものぬしのかみ) 大山咋神(おおやまくいのかみ) 大山祇神(おおやまづみのかみ) 綿津見神(わたつみのかみ)
旧村社
慶長8年(1603)
10月14日
有り。
無し。