きんこうざんかんせんじ
東京都町田市真光寺町1210
元和元年(1615年)5月、大坂夏の陣にてこの地の地頭、飯田右馬助昌有が戦死しました。 開基は、飯田右馬助昌有の子、飯田次郎右衛門昌重(清安院殿白栄全龍居士)。 父の菩提供養の為、飯田次郎右衛門..
元和元年(1615年)5月、大坂夏の陣にてこの地の地頭、飯田右馬助昌有が戦死しました。 開基は、飯田右馬助昌有の子、飯田次郎右衛門昌重(清安院殿白栄全龍居士)。 父の菩提供養の為、飯田次郎右衛門昌重が飯田家の持仏であろう「木像・観世音菩薩半跏像(別名・子安観音)」の胎内に父の遺髪を納めて町田市下小山田町・大泉寺第11世聖翁存祝大和尚(寛永7年1月26日示寂)をご開山に迎え、寛永3年(1626年)に開創されました。 飯田家は新宿区弁天町・宗参寺に葬られ、それ以後は飯田氏の系列4家代々の墓所となりました。 境内地は寺伝(文久2年棟礼)によると、現在の町名になっておる天台宗真光寺廃址に当山建立と云われ、その折に宗派を天台宗から曹洞宗へ、寺院名を真光寺から観泉寺に変えたようです。
金光山
曹洞宗
寛永3年(1626年)
聖観世音菩薩(伝行基作)
大泉寺第十一世聖翁存祝大和尚
武相卯年観音霊場 第四十五番札所
有り