えんじょうじ
佐賀県佐賀市諸富町為重1292
旧肥前鹿島藩主の鍋島直杉家より有縁の者が出家し桂巌老和尚の弟子となり、崇勝院寂恵宲湛大師(正徳5年(1715)寂)と号し、当寺を建立したのが開基として伝えられている。 1700年代には、隠元禅..
旧肥前鹿島藩主の鍋島直杉家より有縁の者が出家し桂巌老和尚の弟子となり、崇勝院寂恵宲湛大師(正徳5年(1715)寂)と号し、当寺を建立したのが開基として伝えられている。 1700年代には、隠元禅師の弟子たちにより次々に黄檗の寺院が建立された。特に佐賀は、当時85ヶ寺の黄檗寺院があったと記録が残っている。当寺もその一つとして建立された。 無住の時代もたびたびあり大きな発展はなかったようであるが、大正14年(1925)頃、先々代が三宝寺さんぼうじ(熊本県宇城市)から圓鏡寺えんきょうじ(福岡県みやま市)を経て当寺に赴任し、檀信徒の教化活動に熱心に取り組み、現在の当寺の基礎を築いた。 その赴任当時は小さな庵で本尊は仏間に安置されていたという。昭和6年(1931)に現在の本堂を建立。内陣は朝鮮模様の柱と欄間が鮮やかで、建創優美なたたずまいであったという。
三重山
黄檗宗
有り