しんこうじ
山形県酒田市字北町9
浄土宗増上寺の末寺である心光寺は、松山藩初代藩主酒井忠恒が入部のはじめ、快南師がここに庵を建て千念寺と称したが、その後、寛文6年(1666)に酒田の善導寺六世超誉師が京都知恩院より摂取山成覚院心光寺..
浄土宗増上寺の末寺である心光寺は、松山藩初代藩主酒井忠恒が入部のはじめ、快南師がここに庵を建て千念寺と称したが、その後、寛文6年(1666)に酒田の善導寺六世超誉師が京都知恩院より摂取山成覚院心光寺の名を受けて開山した。 初代藩主酒井忠恒は超誉師に帰依し、心光寺の興隆を図り菩提寺として、松山藩酒井家の信仰を集めてきた。
攝取山
成覚院
浄土宗
寛文2年(1662年)
阿弥陀如来
快南師
酒井忠恒
寛文6年(1666年)
善導寺六世超誉師
攝取山成覚院心光寺
松山藩酒井家御廟所 酒田市指定史跡
南野駅から徒歩59分
有り