ほんじょうじんじゃ
宮崎県串間市大字本城7644
旧称を妻万五社大明神といい、寺社帳によると勧請の縁起は不明だが享徳元年(一四五二)地頭野辺盛仁が再興、その後明応九年(一五〇〇)、藤原久範、天文二年(一八ユハ二)島津忠朝、天正八年(一五八〇)島津義..
旧称を妻万五社大明神といい、寺社帳によると勧請の縁起は不明だが享徳元年(一四五二)地頭野辺盛仁が再興、その後明応九年(一五〇〇)、藤原久範、天文二年(一八ユハ二)島津忠朝、天正八年(一五八〇)島津義久がそれぞれ再興、江戸期には寛永十八年(一六四一)高鍋藩主秋月種春によって再興された。社領一反四畝(明応九年十二月の棟札が現存)。 『日向地誌』によると、本村五社にあった木花咲耶姫を祭る五社大明神のほか、本城村、崎田村の各所にあった十一座の神社を明治五年合祀し今の名に改めたという。十一座の神は千野にあった祭神誉田別命の八幡、崎田村永野の倉稲魂命を祭る稲荷大明神、同永田の歳大明神(祭神、大年神)同村の霧島権現(祭神、彦火々出見命)ロ広の武雷命を祭る妙見大明神、黒梶田の大山祇命を祭る山神、崎田村畑田の速秋津姫命を祭る百十一所大明神、湊にあった波上権現(祭神、豊玉姫)片角の天児屋根命を祭る春日大明神、中園にあった祭神菅原道真の天神がそれである。明治三十九年、神餅幣吊料供進神社に指定された。はじめ本城、崎田両村の郷社だったが、のち村社となった。
木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと) 大山祇命(おおやまつみのみこと)
村社
本殿(流造)9坪 拝殿(流造)12坪
11月11日