当社の創祀については、詳らかにし難い。桑名誌によれば朝明郡羽根庄金網郷ないに当新田の名がみられ、金網郷は『神鳳抄』や『吾妻鑑』等に記載されており、当村も或いは神宮の御厨内に含まれていた可能性も高い。従って、社伝にいう天正年間(一五七三~九二)以前の創祀と伝える点も捨てがたい。近世には、近郷の氏神として人々の崇敬をあつめていた。明治四〇年字西川原鎮座の無格社山神社と同境内社火産霊社を、又同字居屋敷鎮座の村社神明社を合祀し、社名を神明社と単称した。同四一年七月一四日には、大字豊田鎮座の八十積椋神社に合祀された。しかしながら、氏子崇拝者の熱意により、昭和五年(一九三〇)九月一八日現在地に遥拝所を設け祭祀の誠をつくした結果、後二六年神明神社と単称創立する許可を神社本庁より得、宗教法人として届け出でて現在に至っている。