当社の創祀については詳らかにし難い。現存する棟札のうち、正徳六年 (一七一六)のものには「白髭大明神」又 元禄二年(一六八九)のものには「若宮人明神」の祭神名が知られる。近世初期以前より当地域の氏神として近郷の人々の崇敬をうけていたと考えられる。明治四三年(一九一〇)境内社龍宮社及び山祗社と共に、楠村神社(北五味塚鎮座)と合祀した。その後、南五味塚の氏子崇敬者の熱意により大正五年(一九一六)九月一七日旧社地に奉安殿、拝殿、鳥居等を造営し御旅所として遷宮祭がおこなわれた。戦後、宗教法人として届け出 南御見束神社として、現在に至っている。秋の例祭には鯨舟の神事がある。