文治5年(1189)頼朝の平泉征討のとき藤原秀衡の女児5歳を家来石塚民部守時と妻小萩が護って一時加美郡色麻村清水時に身を寄せ、元久2年(1205)に仙台福沢の尼寺に移りました。
姫は成長の後、安養院と称し藤原氏に縁のあった安養寺に移って藤原家の菩提を弔ったと云います。
時代を経て慶長の初期1600年頃松音寺第7世霊堂文徹和尚が安養寺の復興に当たったが、慶長13年(1608)境内に侵入し狩猟する武士を喝破した遺恨により焼打ちとの内報を受け、聖徳太子像を背負って天神囲(場所不明、現地付近と思われる)に逃れ、泰盛山安養寺として開山。平成元年開山380回忌で大改修が完工しました。
安養寺の護持佛・十一面観音は、小萩観音と呼ばれており、今は変遷を経て仙岳院に祭られています。
かつては榴岡天満宮別当の仏生寺にあったとの事です。
子易地蔵尊は昭和39年建立。聖徳太子堂は昭和8年の建立。380年前に和尚様が背負った太子像が祀られています。