一色町誌によれば、酒手島村は寛文六年(一六六六)に開発された。堤防が完成し新田の誕生をことのほか喜ばれた領主松平備前守神様より祝いの酒(西子)が下賜されたことから酒子島村となつけられたという。
延宝三年(一六七五)神職のお浦九衛門が氏神八幡社を建て、
明台五年(一人七六)十月十二日に村社に列した。
明治十三年(一八八日)神殿建替えのため松の木八本を伐採し、使用したいことを幡豆郡長に願いでており、昭和三年十二月三十日には供進指定を受けた。
以降、自然災害の地震では、昭和十九年東南海地震、昭和二十年三河地震また水害では、昭和二十八年十三号台風、
昭和三十四年伊勢湾台風により甚大な被害を受けたか、氏子の厚い崇敬により、しばしば修理が行われてきた。
そして、今和二年百三十年ぶりに社殿の全面改築に至った。