わたつみじんじゃ
三重県松阪市五主町 1153
文化元年9月、諸戸新田開発の時から、産土神として尊崇し、式年の造営一年中行事等を奉仕してきた。社地はもと星合の浜洲崎で、松の老樹があり、眼人はr竜宮の松jと呼んで親しんでいたが、新田が竣工の後、この..
文化元年9月、諸戸新田開発の時から、産土神として尊崇し、式年の造営一年中行事等を奉仕してきた。社地はもと星合の浜洲崎で、松の老樹があり、眼人はr竜宮の松jと呼んで親しんでいたが、新田が竣工の後、この樹下に神祠を建て、納税の神を勧請したとされる。嘉永2年、村長加賀某、平田重五郎相議り、吉田家に請うて豊玉彦の神推を奉斎し、里人ますます崇敬を厚くしたという。明治3年の大津波でかの松の大樹は枯死し、官許を得て伐採した。明治42年5月、1村1社の国是に従い、星合の彼氏神社に合祀されたが、氏子の総意により、昭和3年現在地に分祀して現在に至る。
《主》豊玉彦命,金山彦命