当社の創始について詳しいことは不明であるが『勢陽五鈴遺響』に「下茅原は、上茅原の東にあり、八幡祠同処にあり」とあって、古くより下茅原には八幡社が氏神として奉斎されていたと思われる。 明治41年1月、この八幡社と広瀬の八柱神社(八柱大神)、上茅原の上茅原神社(香具土神)と他数社を、旧茅広江村(現在勢和村下出江)の千尋江神社に合祀した。この千尋江神社も、昭和22年に再び分祀。八柱神社はもとの広瀬へ、上茅原神社ももとの上茅原へ、それぞれ分祀し、両社は当社の境外社(飛地境内社)となった。そして八幡社はもとの下茅原へ戻り「茅原神社」と改称し、下茅原住民の氏神として金毘羅宮々域の仮殿に遷座された。以後、昭和29年に第1回遷宮を執行、神社としての形を整え、平成6年第3回の遷宮をして現在に至る。 地名「茅原」の由来は、往昔よりこの地に茅山があり、神宮に茅を奉納することによる。