ななみじんじゃ
三重県松阪市上七見町 468
当社の創始について詳細なことはわからないが、『延喜式神名帳』多気郡中の「奈々美神社」に比定されている。また、当社は外宮若菜御厨であったとされ、鎮座地も初めは現在の村里中の位置より二百米ほど離れた所で..
当社の創始について詳細なことはわからないが、『延喜式神名帳』多気郡中の「奈々美神社」に比定されている。また、当社は外宮若菜御厨であったとされ、鎮座地も初めは現在の村里中の位置より二百米ほど離れた所であり、永保2年(1082)の大洪水により現在の社地に遷されたと伝えられている。往古より現在に至るまで当社は「七見村」の産土神であり、鎮守の杜である。 明治40年12月当社境内社を合祀し、続いて明治42年2月10日下七見の須賀神社(須佐之男命)・宇気比神社(天忍穂耳命)、新屋敷の宇気比神社(天忍穂耳命)、菅生の棒屋神社(五十鈴猛命、船霊)を合祀した。しかしその後、昭和22年に新屋敷の宇気比神社を、同23年2月に菅生の棒屋神社をそれぞれ、地元氏子の強い要請により旧地に分祀、還座完了した。
倉稲御魂命,建速須佐之男命,八柱神,天忍穂耳命,豊玉比売命