長法稲荷神社がご鎮座された年代は詳らかではありませんが、江戸時代前期に描かれた「洛北屏風」の中に光明寺とともに「明神」(稲荷大明神のことか?)のご神号が画かれており、また天保14年(1843)に作られた「長法寺村絵図」には「稲荷」というご神号が見られますことから、約350年程前にご鎮座になっていたということが推定されます。
御祭神は「倉稲魂神」(うかのみたまのかみ)と申しまして稲の霊の神様、つまり農耕の神様でありましたが、近世になってからはもっぱら商売繁盛の神様として崇敬され、全国4万社という多くのお稲荷様が祀られているのです。そして長法稲荷神社はかっては「西の長法、東の稲荷」と言われたほどご隆盛であったと言い伝えられています。
また、この地域は以前は竹林が繁り昼でも薄暗い処でしたが、現代では都市化に伴い多くの信者に参拝していただくようになりました。そして社も立派になり益々神社としての大きな格式と御力を持たれ、殊に初詣・初午(2月の最初の午の日)には大勢の信者をあつめ盛大に執り行われるようになりました。