おしかさく
宮城県東松島市赤井字星場312-19(東松島市上区生活センター)
多賀城創建1300年記念 古代東北の城柵『御城印』 724年に創建され陸奥国府が置かれるなど、古代東北の政治・文化の拠点となった多賀城は今年(令和6年)で創建1300年を迎えました。これを記念して..
多賀城創建1300年記念 古代東北の城柵『御城印』 724年に創建され陸奥国府が置かれるなど、古代東北の政治・文化の拠点となった多賀城は今年(令和6年)で創建1300年を迎えました。これを記念して、初めて東北の8つの古代城柵が連携して、多賀城創建1300念記念の御城印を制作しました。
牡鹿の郡家(ぐうけ:郡の役所)あるいは『続日本書紀』天平9年4月条ににみえる「牡鹿柵」と考えられる赤井官衛遺跡と、その南西に位置する役人などの墓域の矢本横穴墓群からなる。 赤井官衛遺跡では、7世紀中葉頃にかんとうちほうからの移民によって溝と塀で囲まれた大規模な集落が営まれる。館衛として整備されるのは7世紀末頃で、官衛は倉庫院と居宅と考えられる2つの区画から構成されている。移民を中心とした集落の構成と、それにもとづいた官衛、ないしは城柵の造営という変遷をたどれる遺跡であり、7世紀中葉8世紀にかけてのの律令国家成立期の東北地方の経営を考える上で重要である。 矢本横穴は、丘陵東向き斜面の中腹に、約1.5㎞にわたって営まれた横穴墓群である。これまで113基の横穴墓が発見されており、赤井官衛遺跡に移民の集落ができたころから官衛が廃絶したころまで墓域として使われたことが判明している。横穴墓の形態は、千葉県の東上総地域に特有の「高壇式横穴墓」に類似したものが多い。金銅装圭頭太刀(こんどうそうけいとうたち)、革帯(かたい)、「大舎人(おおとねり」と墨書された須恵器などの遺物が出土しており、牡鹿郡家ないしは牡鹿柵に勤めた役人たちの墓域と考えられる。(宮城県公式Webサイトより)
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