境内掲示による寶珠稲荷神社の由緒
当神社の起立に付ては、明確な資料がなく、その創建年代を確立することは不可能でありますが、古文書によると、戦国時代の開纂を嘱矢された戦国大名北条早雲の五代目小田原城主北条氏直が、室町時代末期、天正17年(1589)9月、浅草寺門前町の「浅草町」に於いて、初めて「観音市」を開かれ、その市を取締るために、町に後北条氏の虎朱印の「禁制」が出されました。
その当時、浅草町に寶珠稲荷社が鎮座し、町民が守護して居ったのであります。其後屋敷跡に在った時、その土地が幕府の用地となり万治元年(1658)に本所亀戸村に替地を給されました。又その地にあった本所御旗本衆御扶持人衆が屋敷替になった為、附近に殆んど居住しているものがなくなり、又場末でもあり、町民が波世が出来得なくなったので、天和2年(1682)10月に名主と町民が奉行所に替地請願の訴訟状を提出し、町は山谷町と小塚原町の中間の現在地(旧浅草町全域)に替地を給されました。
神社は町とは別に奉行所よりの特別の指示により、浅草寺除地(現在地)間口9尺、奥行20間の土地を賜ったのであります。