かなぎはちまんぐう
青森県五所川原市金木町朝日山192-8
大永年間(1521~1527)、浪岡城の城主北畠具永により創建された神社で、創建当初は金木川の上流に境内を構えていましたが後に現在地に移りました。伝承によると南北朝の動乱で南朝方の有力武将だった北畠..
大永年間(1521~1527)、浪岡城の城主北畠具永により創建された神社で、創建当初は金木川の上流に境内を構えていましたが後に現在地に移りました。伝承によると南北朝の動乱で南朝方の有力武将だった北畠顕家は南朝の事実上の敗北により没落し、その一族が縁が深い安東氏の庇護により浪岡城の城主に就任、大川舟運の守護神である八幡宮を北畠家の祈願所としたと伝えられています。天正年間(1573~1591)、当時の領主大浦為信(後に弘前藩を立藩)が戦勝祈願すると見事、念願成就した事から、以後、津軽家の祈願所として崇敬庇護されます。安永3年(1744)には金木組24ヵ村(五所川原市下岩崎・毘沙門・長富・金木町・中里町・市浦村を示す)の総鎮守に指定され、民衆にも信仰されるようになりました。
誉田別命 境内社 天満宮
郷社
大永年中(1521年~1529年)
不明