ひるこじんじゃ
神奈川県鎌倉市小町2-23-3
小町大路にある小町の鎮守。「ひるこじんじゃ」と読みます。かつて本覚寺山門、夷堂橋のあたりに源頼朝が鎌倉幕府を開く際に鬼門の鎮守として建てた天台宗系の夷堂があり、これが蛭子神社の起源です。 明治に入..
小町大路にある小町の鎮守。「ひるこじんじゃ」と読みます。かつて本覚寺山門、夷堂橋のあたりに源頼朝が鎌倉幕府を開く際に鬼門の鎮守として建てた天台宗系の夷堂があり、これが蛭子神社の起源です。 明治に入って神仏分離令により本覚寺と分離し、七面大明神、山王大権現(北条氏の守神)を合祀して蛭子神社となり現在の地に移りました。その後1981年(昭和56年)に本覚寺境内に夷堂が再建されています。明治に入って神仏分離令により本覚寺と分離し、七面大明神、山王大権現(北条氏の守神)を合祀して蛭子神社となり現在の地に移りました。その後1981年(昭和56年)に本覚寺境内に夷堂が再建されています。明治に入って神仏分離令により本覚寺と分離し、七面大明神、山王大権現(北条氏の守神)を合祀して蛭子神社となり現在の地に移りました。その後1981年(昭和56年)に本覚寺境内に夷堂が再建されています。
大己貴命
旧村社