ごくらくじ
石川県金沢市寺町5丁目5
後醍醐天皇の第八皇子の宗良親王は、南北朝の騒乱の中で、越後や信濃に潜伏していたが、延元二年(1337)に越中国射水郡牧野村(現在の富山県高岡市)に至り、仮の御所を造営して居住していた。 その後、宗..
後醍醐天皇の第八皇子の宗良親王は、南北朝の騒乱の中で、越後や信濃に潜伏していたが、延元二年(1337)に越中国射水郡牧野村(現在の富山県高岡市)に至り、仮の御所を造営して居住していた。 その後、宗良親王は落飾して牧野の地に草庵を結び、仏門に入って極楽寺と号した。これが当寺の起こりである。宗良親王は、佛眼上人明心法親王と尊称された。 寺院来歴記によれば、天正年間(1573-1592)に後の加賀藩三代藩主・前田利常が越中(現在の富山県)守山に在城中、守山極楽寺の第一世・暫誉上人に深く帰依したと伝えられている。 よって慶長四年(1599)に利常が金沢に入城した際に、極楽寺の住職・暫誉上人を召し寄せ、元和元年(極楽寺は、金沢市の寺社群にある寺院で、後醍醐天皇の第八皇子の明心仏眼法親王によって草創されました。 極楽寺は、総本山知恩院の直轄寺院として、公室ゆかりの寺院として認識されていました。
安養山
浄土宗
阿弥陀如来
佛眼上人明心法親王
金沢三十三ヶ所観音霊場12番札所
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