にしむきてんじんじゃ
東京都新宿区新宿6-21-1
京都栂尾山高山寺を開山した明恵上人により、京都北野天満宮を勧請し1228(安貞2)年創建されたと社伝に伝わる。 明恵上人が東国に五大尊寺を開山すべく、菅原道真自作の尊像を持って下向し、当地に祠堂を..
京都栂尾山高山寺を開山した明恵上人により、京都北野天満宮を勧請し1228(安貞2)年創建されたと社伝に伝わる。 明恵上人が東国に五大尊寺を開山すべく、菅原道真自作の尊像を持って下向し、当地に祠堂を建立し旧東大久保村の鎮守としたことに始まる。 西向(にしむき)と称されるのは、丘陵の斜面に造営された社殿が西向きになっている(太宰府方向に向けているとする説もある)ことによる。 天正年間(1573~1593年)、聖護院宮道晃法親王が東国下向の折に大僧都・玄信に命じ、兵火で全焼していた当社を再興させている。 また、江戸時代には棗(なつめ)天神とも称されるようになった。 寛永年間(1624~1645年)、時の将軍・徳川家光が鷹狩りのため当地を訪れた際に荒廃した当社を見て、金の棗(抹茶を入れる器)を下賜し、これにより再興されたという伝承による。 神仏分離令発布後の1872(明治5)年11月には村社に列格した。
菅原大神、稲荷大神、秋葉大神、嚴島大神
旧村社