ひろおいなりじんじゃ
東京都港区南麻布4-5-61
御由緒:創建は慶長年間(1596~1615年)江戸幕府二代将軍徳川秀忠が鷹狩りの際、当地に稲荷を勧請したと伝えられる。 麻布宮村の千蔵寺が別当であった為千蔵寺稲荷とも称され、また社地周辺が萩の名所..
御由緒:創建は慶長年間(1596~1615年)江戸幕府二代将軍徳川秀忠が鷹狩りの際、当地に稲荷を勧請したと伝えられる。 麻布宮村の千蔵寺が別当であった為千蔵寺稲荷とも称され、また社地周辺が萩の名所であり、萩が地をナメる様に咲き乱れていたことから「ハギナメ稲荷」という俗称もあったという。 1845(弘化2)年11月24日に発生した大火(青山火事)によって社殿が焼失する。 1847(弘化4)年に再建され、防災の視点から本殿は土蔵造りとされ、これに現存している拝殿が付加されたものであったという。 また、御神木の銀杏も被災し樹幹内部が焼かれたが、外皮のみの状態で再生しこちらも現存する。 1909(明治42)年2月22日、現社号の廣尾稲荷神社に改称した。 1923(大正12)年9月1日の関東大震災により土蔵造りの本殿が著しく破損したため、1925(大正14)年に木造にて再建された。 火事や地震でたびたび被災した当社であるが、幸いなことに第二次大戦においては空襲被害を免れた。 戦後になって現ドイツ連邦大使公邸敷地内に鎮座していた富士見稲荷の御神体が本殿に合祀されている。 なお、この富士見稲荷と廣尾稲荷を同一視する説があるが、これは事実と異なる。 1990(平成2)年11月12日、今上天皇御即位の礼当日、これに反対する過激派による時限発火装置を使用したテロの対象となり、幣殿及び拝殿の床下約五坪を焼失したが、早期発見と消火作業のおかげで全焼は免れた。
宇迦魂之命
旧無格社
東京メトロ日比谷線広尾駅から徒歩2分
無料
10分
無し