てんぞうじ
群馬県伊勢崎市昭和町1645-1
天増寺は群馬県伊勢崎市昭和町にある曹洞宗寒巌派の寺院。 正式名は「大陽山香火院天増寺」と号する。 創建は慶長8年(1603年)、関ヶ原の戦いの論功行賞により初代伊勢崎藩藩主となった稲垣長茂が自ら..
天増寺は群馬県伊勢崎市昭和町にある曹洞宗寒巌派の寺院。 正式名は「大陽山香火院天増寺」と号する。 創建は慶長8年(1603年)、関ヶ原の戦いの論功行賞により初代伊勢崎藩藩主となった稲垣長茂が自らの守り本尊である「千手観世音菩薩像」を安置したのが始まりとされ、以降歴代稲垣氏の菩提寺となった。 ただ境内には南北朝時代の貞和2年(1346年)に建立された宝塔(年代が明や天正18年(1509年)の赤石城攻防戦で命を落とした那波小太郎・小次郎兄弟の墓碑が残る事から以前ある寺院を再興したと考えられる。 2代藩主稲垣重綱は元和2年(1616年)の大阪の陣で功を挙げ、越後藤井藩へ2万石に加増移封、その後も稲垣氏は各地へ移封されたが、菩提寺を変える事は無かった。 江戸時代を通して幕府から庇護され慶安2年(1649年)には3代将軍徳川家光により寺領40石が安堵、上野常恒会十四檀林の一寺となったことで寺運が隆盛。度々火災や災害によって堂宇が大破したが、江戸時代末期の嘉永5年(1853年)に再建された山門(楼門)だけは当時の姿を留めている。 (伊勢崎市観光サイト等を参照)
大陽山
香火院
曹洞宗
寒厳派
慶長8年(1603年)
千手観世音菩薩
稲垣長茂
大陽山 香火院 天増寺
上州三十三観音霊場 十四番札所 伊勢崎佐波観音霊場 十九番札所
・ 天増寺宝塔(群馬県指定重要文化財 ) ・ 稲垣平右衛門長茂の墓付累代の墓(24基・宝篋印塔)(伊勢崎市指定史跡) ・ 絹本著色稲垣平右衛門長茂像附同重宗像(市指定)
30分
あり
なし