そうせんじ
鳥取県米子市愛宕町38
大龍山總泉寺は、曹洞宗大本山總持寺九世如意庵賽峰良秀禅師を開山とする總持寺直末のお寺です。初代米子城主 中村一忠公は、慶長12(1607)御母堂供養のため城南の出雲街道沿いのこの地に建立しました。寺..
大龍山總泉寺は、曹洞宗大本山總持寺九世如意庵賽峰良秀禅師を開山とする總持寺直末のお寺です。初代米子城主 中村一忠公は、慶長12(1607)御母堂供養のため城南の出雲街道沿いのこの地に建立しました。寺名は母の戎名「大龍院殿一源心公禅門」より大龍山としました。住職には、中村一忠公と新交の深かった米子尾高観音寺の棟室建梁大和尚を招き、寺領百石を与えています。江戸時代寛文2年には伯耆国六郡の全曹洞宗寺院をまとめる「僧録所」に定められた、大本山總持寺の輪番住職をも務めていました。二十一世一峰定麟和尚代には末寺が二十一ヶ寺になり地方の本山として僧侶の修行道場など戦前までその役目を果たしてきました。緑の山に囲まれた現在の總泉寺の本堂や山門石垣などの景観は天保13年(1842)三十一世直翁見成和尚代に再建され整備の家紋「丸に揚羽蝶」の使用も許可されました。また江戸時代には寺子屋として子弟教育の場でしたが、現在の明道小学校。就将小学校 米子西校の前身をたどれば、この總泉寺の禅堂から始まっています。
大龍山
曹洞宗
慶長12年(1607)
釈迦牟尼仏
伯耆三十三観音霊場 第四番札所
米子駅から徒歩11分
無料
20分
有り